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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)131号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

内山成樹

海渡雄一

被告

東京地方検察庁検察官

被告

右代表者法務大臣

後藤正夫

右被告両名指定代理人

藤宗和香

青木正存

主文

一  被告東京地方検察庁検察官に対する訴えを却下する。

二  被告国に対する原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告東京地方検察庁検察官が昭和五七年七月二八日付けで原告についてした起訴猶予を理由とする不起訴処分を取り消す。

2  被告国は、原告に対し、金一三〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和五七年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  右第2項につき、仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えをいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案の答弁

(一) 主文第二項及び第三項と同旨

(二) 仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (取調べ・処分等の経緯)

(一) 原告は、昭和五七年四月一二日午後七時すぎころ、東京都大田区東矢口付近において、通行中の乙川花子(以下「乙川」という。)の目前で、公然猥褻の行為をしたとの被疑事実(以下「本件被疑事実」という。)に基づき、警視庁池上警察署警察官により被疑者として現行犯逮捕された。

(二) 被告東京地方検察庁検察官・荻野壽夫検事(以下、本件取消しの訴えにつき、被告である行政庁として「被告検察官」といい、本件損害賠償請求につき、公権力の行使に当たる公務員として「荻野検事」という。)は、本件被疑事実に係る事件(以下「本件被疑事件」という。)の捜査を担当し、昭和五七年五月一八日、東京地方検察庁において、原告を被疑者として取り調べた(以下「本件取調べ」という。)うえ、原告につき、同年七月二八日付けで、起訴猶予を理由とする不起訴処分(以下「本件処分」という。)をした。

(三) 原告は、昭和五七年九月六日、本件処分があったことを知った。

2  (本件取調べに関する検事の過失)

原告は、本件取調以前において、その主張を詳細に展開した供述書(以下「原告の供述書」という。)を捜査機関に提出し、荻野検事が所持する事件記録に編綴され、その内容を検討することができる状況にあったから、荻野検事は、本件取調べに先立ち、原告の供述書のほか、目撃者である乙川の警察における供述調書(以下「乙川の供述調書」という。)及び原告の警察における供述調書(以下「原告の供述調書」という。)を検討すれば、原告の供述書における供述には、一貫性、合理性があるが、乙川の供述書における原告が犯人であるとする供述は、そもそも、その目撃は一瞬のものでしかなく、姿、形など極めて曖昧な特徴によって、原告の不審な行動から原告を犯人と誤信したのであって、到底信用することができず、原告の供述調書における供述は、不当な精神的圧迫のもとで本件被疑事実について若干の外形的事実は認めたものであるが、その内容自体にも矛盾があり、到底信用することができないことを容易に知ることができたにもかかわらず、右検討を怠り、漫然と原告が犯人であるとの予断を抱き、本件取調べにおいて、これを前提として、原告を犯人と決めつけ、その真摯な無実の訴えに全く耳を貸すことなく、詳細な事情聴取をしないで、取調べをわずか三〇分間の短時間で打ち切ったのであって、過失によって、違法に原告を取り調べたというべきである。

3  (本件処分の取消事由)

(一) 本件処分は、刑事訴訟法二四八条に基づく起訴猶予を理由とする不起訴処分であり、本件被疑事実について原告に犯罪の嫌疑があることを前提とする。

(二) ところが、前記のとおり、原告に嫌疑があることに沿う捜査資料である目撃者の供述や原告の警察における供述は信用することができず、他方、犯行を否認する原告の供述は、十分に信用することができるから、原告には本件被疑事件について犯罪の嫌疑がなく、被告検察官の本件処分は違法であって、取り消されるべきである。

4  (本件処分に関する検事の故意又は過失)

荻野検事は、原告に本件被疑事実について嫌疑がないことを知りながら、又は、仮に原告に右嫌疑があるものと信じたとしても、原告等が本件被疑事実を強く否認しているのであるから、目撃者である乙川の不十分な犯人特定や原告の矛盾する供述などの捜査上の疑問点を解明する義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と捜査を終了し、本件処分をしたのであって、故意又は過失によって違法に本件処分をしたというべきである。

5  (損害)

(一) 原告は、公然猥褻という破廉恥な犯罪を内容とする本件被疑事実につき、何らの嫌疑がないにもかかわらず、本件取調べを受け、本件処分に付せられたことにより、多大な精神的苦痛を被ったところ、原告の右苦痛を慰藉するのに相当な賠償金は少なくとも金一〇〇万円である。

(二) 原告は、原告訴訟代理人弁護士らに対し、本訴訟事件を委任し、弁護士費用として金三〇万円を支払った。

6  よって、原告は、被告検察官に対し、本件処分の取消しを、被告国に対し、国家賠償法一条一項の損害賠償請求権に基づき、金一三〇万円及び内金一〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年一〇月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本案前の主張

1  被告検察官に対する処分取消請求訴訟について

(一) 一般に、刑事司法手続上の過誤は、当該刑事司法手続上の救済システムの中においてのみ是正されるべきであり、是正のために行政争訟手続を利用することは、元来、法の予定するところではない。行政不服審査法四条一項六号が、刑事事件に関する法令に基づき、検察官、検察事務官又は司法警察職員が行う処分は行政不服審査の対象とならない旨を定めているのは、右当然の理を注意的の規定したものである。そして、不起訴処分の適否の審査については、刑事司法手続上、検察審査会の専権事項とされており、そもそもこれを裁判所の審査の対象となし得ない(最高裁昭和二七年一二月二四日大法廷判決・民集六巻一一号一二一四頁)。

(二) また、不起訴処分は、それ自体、何ら被疑者の権利義務ないし法律上の利益に法律的変動をもらたすものでないから、行政事件訴訟法三条一項に規定する処分に該当しない(最高裁昭和三〇年二月二四日第一小法廷判決・民集九巻二号二一七頁)。

(三) さらに、原告は、不起訴処分を取り消して起訴せよと主張しているのではなく、不起訴処分の理由を変更せよと主張しているにすぎず、そのような訴えが法律上の利益を有するものでないことは多言を要しない。請求の趣旨において、原告は、不起訴処分のうちの起訴猶予の取消しを求めるかの如き申立てをしているが、刑事訴訟法上の処分としては不起訴処分があるのみで、起訴猶予は、不起訴処分の理由にすぎず、不起訴処分と別個独立の処分が存在するわけではない。そして、起訴猶予を理由とする不起訴処分も不起訴処分の一つであって、それ以外の不起訴処分に比して何ら原告を不利益に取り扱うものではなく、また、法令上、不起訴処分に付せられた者を不利益に取り扱いうる旨の規定もなく、不起訴処分は、被処分者に対し、刑事訴追権を行使しない旨の利益処分であるから、行政事件訴訟法九条の適用上、原告は、本件処分の取消しを求める法律上の利益を有しない。

(四) 以上のとおり、本件処分の取消しを求める訴えを提起することができないことは明らかであるから、被告検察官に対する本件処分取消しの訴えは却下されるべきである。

2  被告国に対する損害賠償請求訴訟について

行政事件訴訟法は、取消訴訟には当該処分に関連する損害賠償の請求に係る訴えを併合することができる旨を規定している(同法一六条一項、一三条一号)が、これは、取消訴訟が適法であって本案の判断に親しむことを前提として、両請求に係る訴えがそれぞれ別個の訴訟として取り扱われることによって生ずる審理の重複と判断の矛盾を避けるために特に併合することを認めたものであるから、不適法な取消訴訟に損害賠償の訴えを併合して提起することは許されない(東京地裁昭和四五年一月二六日判決・訟務月報一六巻一〇号一一五六頁)。したがって、被告検察官に対する取消訴訟は、前記のとおり、不適法として却下されるべきであるから、これに併合して提起された被告国に対する損害賠償請求の訴えは、不適法として却下を免れない。

三  本案前の主張に対する原告の反論

1  被告検察官に対する処分取消請求訴訟について

(一) 起訴猶予を理由とする不起訴処分に対する取消訴訟は、以下に述べるとおり、適法である。

(1) 行政事件訴訟法は、処分の取消しの訴えは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為の取消しを求める訴訟であるとし、右処分の取消しの訴えについて、行政不服審査法四条が定めるような例外規定を設けていない。このことは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為について取消しを求める法律上の利益がある限り、その訴えの適法性は肯定されることを示している。一方、行政事件訴訟法八条は、処分の取消しの訴えは、当該処分につき法令の規定により審査請求をすることができる場合においても、直ちに提起することを妨げないと定めているが、この条項は、当然、審査請求をすることはできなくとも処分の取消しの訴訟提起はすることができる場合のあることを前提としている。したがって、不服申立てをすることができないから、処分の取消しをすることもできないなどという被告らの主張は、行政不服審査制度と行政事件訴訟制度の相違を混同するものであって、全く失当というほかない。

(2) また、被告らが引用する最高裁昭和二七年一二月二四日大法廷判決は、告訴した被害者が原告となった訴えについてのもので、本件とは全く事例を異にしている。このような事例においては、そもそも不起訴処分が取り消されたとしても被害者の目的は達せられず、その後、検察官による起訴がなされて初めて、その目的が達せられる。訴追を国家が独占する以上、そもそも被害者は、検察審査会に申し立てるほかは、このような申立てを起こす利益に欠けるのである。これに対し、本件においては、原告は被疑者であり、原告にとっては、起訴猶予を理由とする不起訴処分が取り消されることによって目的は達成される。

(二) 原告には、以下に述べるとおり、本件処分を取り消す法律上の利益がある。

(1) まず、不起訴処分のうち、「起訴猶予」を理由とするものとそれ以外の理由によるものとは、次のとおり、法的効果を異にする。

① 指紋等取扱規則(昭和四四年九月四日国家公安委員会規則第六号)は、処分結果通知書を作成すべきことを規定し、これを受けて指紋等取扱細則(昭和四四年九月四日警察庁訓令第八号)は、その記載方法につき規定し、検察庁における処分を不起訴、起訴猶予及び中止処分の三類型に分けている。そして、この処分結果通知書は、最終的には警察庁鑑識課長のもとで整理、保管されるが、起訴猶予を別異に記載するのは、犯罪行為を行った者を分類しておき、将来の犯罪捜査に資するためであるから、起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けた者は、自分が捜査の対象となりうることを意味し、他の不起訴処分を受けた者とは明らかに異なる作用を受ける。

② 被疑者補償規程二条は、検察官は、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるとき、抑留又は拘禁による補償をすると規定し、同規程四条は、補償に関する事件の立件手続は、「罪とならず」又は「嫌疑なし」の不起訴裁定主文により、公訴を提起しない処分があったとき(一号)、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる事由があるとき(二号)又は補償の申出があったとき(三号)に行う旨を規定する。したがって、不起訴裁定主文が「起訴猶予」である場合、右一号又は二号の要件に当たらないから、被疑者は、補償の申出をしなければならないが、嫌疑の存在を前提としている起訴猶予処分がある以上、補償を受けることは、極めて困難であり、ほとんど不可能というべきである。そうすると、起訴猶予を理由とする不起訴処分は、他の不起訴処分とは明らかに異なる作用を有する処分である。

③ その他、例えば、原告が公務員に採用されようとする場合には、原告の前歴は当然、照会され、調査されるとみるべきであり、その場合には、原告が公然猥褻の被疑事実によって起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けたという事実は、明らかに公務員採用に障害となるが、このように、不起訴理由が他の官署や報道機関に公表されると、起訴猶予を理由とする不起訴処分は、他の不起訴処分とは明らかに異なる作用を有する。

(2) そして、起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けたという情報が国家機関である捜査機関に保有されているという事実から、原告には様々な不利益が生ずる。例えば、処分結果通知書は、公務員としての採用について、他の刑事事件の立証手段として、また、犯罪捜査の手段として利用されるが、このような不利益は、単なる事実上の不利益とはいえず、起訴猶予を理由とする不起訴処分に必然的に随伴するものというべきであって、法律上の不利益と評価すべきである。

(3) 憲法一三条の定める基本的人権の一つであるプライバシーの権利は、自己に関する情報を自己コントロールする権利であり、行政機関等の保有する誤った個人情報を訂正する権利は、この憲法上の権利である。したがって、本件処分を受けたという事実が検察庁や警察庁に登録されていること自体が原告のプライバシーの権利を侵害しており、原告にとっての法律上の不利益である。

2  被告国に対する損害賠償請求訴訟について

行政事件訴訟の適法性如何と併合提起されている損害賠償請求訴訟の適法性の判断は、別個になされるべきである。これにつき、最高裁昭和五九年三月二九日第一小法廷判決(判例時報一一二二号一一〇頁)は、「取消訴訟として併合提起された別の請求に係る訴えが右併合の要件を満たさないため不適法な併合の訴えとされる場合においては、後者の請求の併合が取消請求と同一の訴訟手続内で審判されることを前提とし、専らかかる併合審判を受けることのみを目的としてされたものと認められるものでない限り、受訴裁判所としては、直ちに右併合された請求に係る訴えを不適法として却下することなく、これを取消請求と分離したうえ、自ら審判するか、又は事件がその管轄に属さないときはこれを管轄裁判所に移送する措置をとるのが相当というべきである。」と判示する。行政事件訴訟法一三条の規定が設けられたのは、審理の重複を省き、判決の矛盾抵触を避けようとする趣旨によるが、右趣旨からすれば、仮に本件において取消訴訟が不適法であったとしても、それをもって直ちに損害賠償請求訴訟を不適法却下する必要は何ら認められない。右最高裁判決が判示するように、単に、取消訴訟と分離したうえ、自ら審判すれば足りる。また、本件請求は、同一の訴訟手続内で審判されることを前提とし、専ら併合審判を受けることのみを目的としてされたものでないことは明らかである。そうすると、損害賠償請求について不適法却下すべきとする主張は、右最高裁判決に照らし、全く失当というほかはない。

四  原告の反論に対する被告らの再反論

(被告検察官に対する処分取消請求訴訟について)

原告が主張する本件処分を取り消す利益は、いずれも法律上の利益とはいえない。

(1) まず、起訴猶予を理由とする不起訴処分と他の不起訴処分とは、法的効果において相違はない。

① 指紋等取扱規則について、同規則五条は、指紋票へ処分結果の転記をすべき旨を定めているところ、指紋票の検察官の処分結果欄に記載すべき処分結果については、「不起訴」と「起訴猶予」と分類する取扱いがなされている。しかしながら、同規則は、同規則一条が定めるとおり、被疑者の指紋及び掌紋を組織的に収集し、管理し、及び運用するため必要な事項を定め、もって犯罪捜査に資することを目的としたものであって、捜査機関内部での事務処理の方法を定めたにすぎないのであるから、右のとおり、その取扱いに区分がなされていても、対外的には何らの法的意味を有するものではない。したがって、原告の主張は、事実上の問題を述べているにすぎない。

② 被疑者補償規程について、原告は、同規程四条によれば、起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けた者は補償が与えられないことになる旨を主張するが、同条は、補償に関する事件の立件手続に関する規定であって、同条一号及び二号は、職権で立件手続を行う場合を規定したものであり、同条三号は、「補償の申出があったとき」には立件手続を行うものとしており、補償の要否については、同規程二条及び六条の定めるところにより裁定されるのであって、起訴猶予の裁定が即、補償をしない旨の裁定(同規程六条二項)となるわけではない。したがって、起訴猶予を理由とする不起訴処分が補償請求権を消滅させるかのようにいう原告の主張は失当である。

③ 不起訴処分の理由を被疑者や告訴人等以外の第三者に通知する場合として、例えば、国家公務員関係における人事権者からの、国家公務員法あるいは地方公務員法上の人事管理上の必要性などの理由に基づく照会に対し回答する場合があるが、これは、公務員の服務規律の維持・確立と身分保障という人事管理上行われるものである。また、公表についていえば、社会の耳目を集めた刑事事件一般あるいは告訴・告発事件について、告訴・告発人に対する理由の告知と同時に報道機関に捜査の終結とその事由についての発表が行われる事例があり、そのなかで不起訴処分の理由に言及することがあるが、それは、被疑者の人権に対する細心の注意を払ったうえで、事案の性質や重要性、捜査の帰結が社会に与える影響等を勘案して行われるのであり、当然それなりの充分な合理性が存するのであり、刑事訴訟法二六〇条の趣旨を逸脱するものではない。以上のとおり、前記照会に対する回答あるいは報道機関に対する発表にしても、回答あるいは発表の必要性や合理性に照らして刑事訴訟法二六〇条の趣旨を没却することのない範囲内で行われるものであるから、不起訴処分の理由が内部的処理における裁定事由であるという性格を何ら変容するものではない。したがって、個別的事案において、その通知・公表をしたことが、被疑者に対する違法な職務行為としてその違法性を問いうることがあるとしても、捜査機関が当該事件について一応の捜査を終了するに当たって、いかなる裁定理由を付するかということは全く別次元での問題であり、原告の主張は、何らの法的理由となることのない独自の見解を展開するものである。

(2) 原告は、起訴猶予とされること自体による不利益として、後の刑事裁判における影響、公務員任用の妨げとなるおそれ等を主張するが、これらは、いずれも不起訴処分の直接の効果ではなく、法的な不利益と解されるものではない。

五  請求原因に対する認否

1  請求原因1について、(一)及び(二)は認めるが、(三)は不知。

2  同2について、原告が供述書を提出したことは認めるが、荻野検事の取調当時、それが同検事の所持する事件記録に編綴され、内容を検討することができる状況にあったことは不知。その余は、否認又は争う。

3  同3について、(一)は認めるが、(二)は否認又は争う。

4  同4は、否認する。

5  同5について、(一)は争い、(二)は不知。

六  被告らの反論

1  本件取調べについて

(一) 荻野検事が、原告を取り調べた際、原告を犯人と決めつけた事実はない。同検事が原告を取り調べたとき、原告は既に釈放されていたが、原告が本件被疑事件の被疑者であるという立場に変わりはなく、同検事は、あくまで、捜査担当検事として、本件被疑事件の真相解明を目的として、被疑者として原告を取り調べた。したがって、本件取調時における同検事の発言、質問等が時に厳しいものであったとしても、人間としての尊厳を傷つけるが如きものではない限り、違法ではないことはもちろん、不相当であるとすらいえない。

(二) 被疑者の取調べを捜査のどの段階で、どの程度に行うかは、事案の内容、捜査担当検事の判断によって当然に異なりうるものであり、本件では、原告の取調べは、当然、本件被疑事件の捜査の一過程として行われたにすぎない。そして、荻野検事は、原告の供述、また同人提出に係る供述書の内容を捜査資料として把握したうえ、さらに目撃者の供述その他につき、十分な捜査を遂げて、担当検事として客観的に心証を得た段階で、起訴不相当として事件処理を行った。

(三) したがって、荻野検事による原告の取調べは、犯人と決めつけたものでもなく、何ら違法なものではないのであって、被告国に国家賠償法一条一項の責任を生ずる余地はない。

2  本件処分について

(一) 公訴を提起しない処分である不起訴処分の不当ないし違法の是正は、現行刑事手続法の体系のもとでは、検察審査会による審査、裁判所による準起訴手続、上級官庁により審査等の制度によって図られている。そして、これらの手続が予定されている場合を除いては、検察官に公訴権の行使に広範な裁量権が与えられている結果、検察官の不起訴処分が、刑事手続上、職務規範に反すると評価されることはない。不起訴処分を行うに際し、内部的に起訴猶予として処理するか、あるいは嫌疑不十分として処理するかの判断については、刑事手続法の体系において、検察官の全くの裁量に委ねられており、法律の干渉は何ら予定されていない。

以上のほか、右判断作用の純粋思惟性、事実認定や法令適用の相対的性格等を総合して考察すると、検察庁内部における起訴猶予とするか、嫌疑不十分とするかの判断作用が、仮に国家賠償法上の違法評価の対象となるとしても、当該判断作用が違法と評価されるには、検察官が、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がなさればならないと解すべきである。本件においては、右特別な事情の存在について、主張も立証もなく、原告の主張は失当である。

(二) 仮に、右のように限定的に解すべきでないとしても、検察官が嫌疑ありと判断した作用に国家賠償法上の違法があるというためには、当該検察官において犯罪の嫌疑を認めた判断が、不起訴処分時における手持証拠や被疑者の挙動等の各種資料を総合したとき、証拠の評価について通常考えられる検察官の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、著しく合理性を欠くことが明らかなことが必要であると解すべきである。具体的にいえば、客観的一義的に、嫌疑がないことが明白である場合、すなわち、真犯人が出現し、又は、アリバイがあって、人違いであることが明らかになったことによって、起訴猶予が誤りであることが確定できる場合に限って、国家賠償法一条一項の違法の問題となりうると解すべきである。

そこで、本件についてみると、真犯人の出現や被疑者にアリバイがあることは認められず、被疑者に関して人違いがあった場合ではない。五メートルないし一九メートルの距離で、四回にわたって犯人の容貌、服装等を確認した目撃者の供述があって、その供述は、捜査段階を通じ、しかも、原告の両親の執拗な面談を経ても、なお一貫性があり、追尾開始時点での暫時の目撃の中断はあるものの、その供述の信用性を失わせるものとはいえない。また、原告は、警察官に対し、二回にわたって自白した事実が存し、その状況は、被疑者があえて虚偽の自白をする必然性が認められるようなものではない。以上の事実に照らすと、本件では、本件被疑事実について原告に嫌疑があることは明白である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告が本件被疑事実に基づき警視庁池上警察署警察官により被疑者として現行犯逮捕されたこと、被告検察官・荻野検事が本件被疑事件の捜査を担当し、本件取調べを経て、本件処分をしたことは、当事者間に争いがない。

二まず、初めに、被告検察官に対する本件処分取消しの訴えにつき、その適法性を検討する。

1  一般に、不起訴処分の適否の審査は、検察審査会の専権事項であって、これを裁判所の審査の対象とすることはできないと解されているが、これは、検察官が当該事件につき公訴を提起すべきであるのにもかかわらず、これをしなかったという不起訴処分自体の適否を争う場合においては、その適否につき、検察審査会の審査を受けることができる(検察審査会法三〇条)から、これによるべきものであって、当該不起訴処分の取消し等を求めて裁判所に出訴することはできないという法理として理解すべきものである。そして、本件のように、被疑者が、犯罪の嫌疑がないと主張して、起訴猶予を理由とする不起訴処分の適否を争う場合においては、検察審査会の審査を受けることができないのであるから、右審査によるべきであるということはできず、したがって、本件の場合には、不起訴処分の適否について、当然に、裁判所の審査権限が排斥されてしまうものではないというべきである。

2  そこで、進んで、本件処分取消しの訴えが、処分の取消しの訴えの要件を充足するか否かを検討することとし、まず、本件処分が、処分の取消しの訴えの対象となる行政庁の処分に該当するか否かを検討すると、不起訴処分は、検察官が公権力の行使として行う行為であって、被疑者に対して、公訴の提起という不利益な処分をしないということを確定し、被疑者という法的地位を消滅させるという点において、その権利義務ないし法的利益に直接の具体的な影響を及ぼすものということができるから、取消訴訟の対象となる行政庁の処分というべきであり、本件処分は、その不起訴処分として、処分の取消しの訴えの対象となるものといわなければならない。

3  次に、原告が、本件処分の取消しを求めることについて、法律上の利益を有する者であるか否かについて判断する。

本件処分は、不起訴処分として、原告について公訴の提起という不利益な処分をしないということを確定し、捜査の対象である被疑者という地位を消滅させるものであるから、原告にとって利益的な処分というべきであり、原告は、これを取り消す法律上の利益を有しないものというべきである。原告は、起訴猶予を理由とする不起訴処分である本件処分は、その他の理由による不起訴処分と異なり、犯罪の嫌疑があることを前提としてされるものであるから、被疑者であった原告にはこれを取り消す法律上の利益がある旨を主張するが、しかしながら、起訴猶予処分において処分理由として犯罪の嫌疑ありといわれるのも、捜査機関としての検察庁の内部的な事務処理としていわれることであって、それ自体によっては何ら特段の対外的な法的効果を生じないものであり、したがって、起訴しない処分である限り、他の不起訴処分と起訴猶予処分との間に処分の法的効果に差異があるものではないというべきであるのみならず、もともと、犯罪の嫌疑というものは、犯罪を犯した疑いにとどまるものであって、確定的に犯罪を犯したことを意味するものではなく、それは単に有罪判決を獲得する可能性として公訴提起の要件となるにすぎないかなり漫然としたものというべきであり、しかも、起訴猶予処分における犯罪の嫌疑は、その存在が公権的に確定されたものではなく、捜査にあたった当該検察官が嫌疑ありと思料して起訴猶予処分にしたというにすぎないものであって、もとより裁判所その他の国家機関のレヴューを受けた、犯罪の成立についての公権的な判断ということのできないものであることは明らかである。このように、捜査機関としての検察庁の内部的な事務処理として、公権的に確定されたものでないかなり漠然とした犯罪の嫌疑があるとされたことによって、被疑者であった者が何らかの不利益を被るとしても、それは単なる事実上の不利益であって、法律上の不利益ではないといわざるを得ないから、被疑者であった原告には本件処分の取消しを求める法律上の利益がないものといわなければならない。

以下、この点につき、原告の主張に沿って詳述する。

(一)  原告は、不起訴処分のうち、起訴猶予を理由とするものとそれ以外の理由によるものとでは、法的効果を異にする場合があると主張する。

(1) 指紋等取扱規則一条は、この規則は、被疑者の指紋及び掌紋を組織的に収集し、管理し、及び運用するため必要な事項を定め、もって犯罪捜査に資することを目的とすると規定し、同規則五条一項は、警察署長等は、指紋原紙及び指紋票を作成した後において、警察庁長官が定める事由に該当するに至ったときは、すみやかに、処分結果通知書を作成し、これを府県鑑識課長に送付しなければならないと規定する。これを受けて、指紋等取扱細則八条は、右事由の一つとして、事件が不起訴処分となったときを挙示し、同細則九条は、処分結果通知書の様式は、別記様式第七号のとおりとすると規定し、同別記様式第七号は、処分結果通知書の処分欄における検察庁の処分を不起訴、起訴猶予又は中止処分に区分している。ところで、原告は、右区分により、起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けた者は、他の理由による不起訴処分を受けた者と異なる法的作用を受ける旨を主張する。しかしながら、処分結果通知書の処分欄における検察庁の処分の記載が不起訴であるか、起訴猶予であるかによって、右処分結果通知書の取扱いその他が異なることを定める規定はなく、法的効果における差異を認めることはできないというべきである。そうすると、指紋等取扱規則及び同細則上、起訴猶予を理由とする不起訴処分とその他の理由に基づく不起訴処分との間に異なる法的効果があるということはできない。

(2) 被疑者補償規程二条は、検察官は、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留又は拘禁による補償をすると規定し、同規程四条は、補償に関する事件の立件手続は、「罪とならず」又は「嫌疑なし」の不起訴裁定主文により、公訴を提起しない処分があったとき(一号)、前号に掲げる場合のほか、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる事由があるとき(二号)又は補償の申出があったとき(三号)に行う旨を規定する。したがって、不起訴裁定主文が「起訴猶予」である場合、右一号又は二号の要件に当たらないから、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者は、補償を受けようとするときは、補償の申出をしなければならない。この場合において、原告は、起訴猶予を理由とする不起訴処分がある以上、補償を受けることは、ほとんど不可能であると主張する。確かに、起訴猶予を理由とする不起訴処分は、犯罪の嫌疑があることを前提とする。しかしながら、前記のとおり、不起訴処分は犯罪の嫌疑があることを公権的に確定するものではないから、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者は、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があることを主張し、これを裏付ける資料等を提出することによって、補償をする旨の裁定を受けることができるのであって、補償を受けることが法的に不可能となってしまうわけではない。そうすると、被疑者補償規程につき、起訴猶予を理由とする不起訴処分とそれ以外の理由による不起訴処分との間に法的効果に差異があるといえず、原告の主張は採用することができない。

(3) 起訴猶予という不起訴処分の理由が、他の官署や報道機関に通知又は公表される場合、当該不起訴処分を受けた者が何らかの事実上の不利益を受ける可能性を否定することはできないが、しかし、起訴猶予処分の処分理由における犯罪の嫌疑が、前記のとおり、かなり漠然とした犯罪の嫌疑であって、しかも、その存在が公権的に確定されたものでないことに鑑みると、他の理由に基づく不起訴処分と異なる法律上の不利益を受けることを認めることはできないものというべきである。

(二)  原告は、起訴猶予を理由とする不起訴処分を受けたという情報が国家機関である捜査機関に保有されていることから生じる不利益として、公務員としての採用、他の刑事事件の立証手段、犯罪捜査の手段に関する不利益を挙げるが、これらについても、当該不起訴処分を受けた者が事実上の不利益を受ける可能性を否定することはできないが、しかし、他の理由に基づく不起訴処分と異なる法律上の不利益を受けることを認めることはできないものというべきである。

(三)  原告は、行政機関等の保有する誤った個人情報を訂正する権利が、憲法一三条に基づくプライバシーの権利として認められることを前提として、本件処分を取り消す利益は、このプライバシーの権利であると主張するが、右は独自の見解であり、採用することはできない。

(四)  そうすると、原告が主張する本件処分の取消しを求める法律上の利益は、いずれも認められないといわざるを得ない。

以上によれば、被告検察官に対する本件処分取消しの訴えは、原告に当該処分の取消しを求める法律上の利益がないから不適法であるというべきである。

三次に、被告国に対する損害賠償の訴えについて、その適法性を検討する。

1  被告国は、取消訴訟に当該処分に関連する損害賠償の請求に係る訴えを併合することができる旨の規定は、取消訴訟が適法であって本案の判断に親しむことを前提として、両請求に係る訴えがそれぞれ別個の訴訟として取り扱われることによって生ずる審理の重複と判断の矛盾を避けるために特に併合することを認めたものであるから、不適法な取消訴訟に損害賠償の訴えを併合して提起することは許されないとして、被告検察官に対する取消訴訟が不適法であるから、これに併合して提起された被告国に対する損害賠償の訴えも、不適法となると主張する。

2  しかしながら、取消訴訟が不適法であることを理由として、独立の訴訟要件を備えている関連請求を不適法と解すべき根拠はないというべきである。被告は、両請求に係る訴えがそれぞれ別個の訴訟として取り扱われることによって生ずる審理の重複と判断の矛盾を避けることを強調するけれども、取消訴訟が不適法である場合において、関連請求を独立の訴えとして取り扱っても、審理の重複と判断の矛盾は生じないというべきである。また、関連請求を独立の訴えとして取り扱っても、訴訟が遅延するということはできないし、取消訴訟を不適法として却下し、関連請求を自ら審理する場合には、従前の訴訟資料は、当事者の援用を要しないで関連請求の訴訟資料となるというべきであるから、訴訟制度上混乱をもたらすということもできない。かえって、独立の訴訟要件を備えている関連請求を却下することは、訴訟経済に反するというべきである。

したがって、本件においては、被告検察官に対する取消訴訟に併合して提起された被告国に対する損害賠償請求の訴えは、右取消訴訟が不適法であるという理由に基づき当然に不適法となるわけではないというべきである。

四そこで、被告国に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求について、その理由があるか否かを検討する。

1  まず、本件取調べに関する荻野検事の過失について判断する。

(一)  原告が原告の供述書を捜査機関に提出したことは、当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉によれば、原告が本件取調べ以前に、原告の供述書を提出し、本件取調べにおいて、右原告の供述書に基づいて供述をしたことが認められる。右事実によると、荻野検事は、本件取調べに先立ち、原告の供述書を検討することが可能であったものと推認することができる。

(三)  原告は、荻野検事が、原告の供述書のほか、乙川の供述調書及び原告の供述調書を検討すれば、原告の供述書における供述は、一貫性、合理性があるが、乙川の供述調書における原告が犯人であるとの供述は、その目撃が一瞬のものでしかなく、姿、形など極めて曖昧な特徴によって、原告の不審な行動から原告を犯人と誤信したのであって、到底信用することができず、原告の供述調書における供述も、不当な精神的圧迫のもとで被疑事実について若干の外形的事実を認めたもので、その内容自体にも矛盾があり、到底信用することができないことを容易に知ることができたにもかかわらず、右検討を怠り、漫然と原告が犯人であるとの予断を抱き、本件取調べにおいて、原告を犯人と決めつけ、その真摯な無実の訴えに全く耳を貸すことなく、詳細な事情聴取をしないで、取調べをわずか三〇分間の短時間で打ち切った過失がある旨を主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、乙川は、警察において、原告が公然猥褻の行為をするのを目撃した旨を経験に基づいてありのままに供述したことが認められ、同号証のほか、〈証拠〉によれば、乙川の目撃状況などに関する警察における供述の内容は、乙川が、わずか四、五メートル程度の至近距離で犯人の顔等を見たうえ、その場から遠ざかりながら、三回も振り返って、犯人の姿、形、着衣等を確認し、その目撃の経験に基づき、その目撃の数分後に、原告を見て右犯人と断定した旨を供述するものであったことが認められる。したがって、乙川の供述調書における原告が犯人であるとの供述は、その目撃が一瞬のものでしかなく、姿、形など極めて曖昧な特徴によって、原告の不審な行動から原告を犯人と誤信したものであるということはできない。また、〈証拠〉によれば、原告の供述調書は、本件被疑事実をほぼ認める内容であったことが認められるところ、荻野検事が、右調書の記載内容から、原告の右供述を到底信用することができないと直ちに断定することができるような矛盾を見出すことが可能であったこと及び原告の供述が不当な精神的圧力のもとでなされたことを容易に知ることができたことを認めるに足りる証拠はない。そのほか、荻野検事が、漫然と原告が犯人であるとの予断を抱き、本件取調べにおいて、原告を犯人と決めつけ、その真摯な無実の訴えに全く耳を貸すことがなかったことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、〈証拠〉によれば、本件取調べの時間は、調書作成の時間を含めて三、四〇分間であったことが認められるけれども、右事実から荻野検事が原告を過失によって違法に取り調べたということは到底できない。以上のとおり、荻野検事が原告を過失によって違法に取り調べたことを認めるに足りる証拠はないから、原告の前記主張は理由がないというべきである。

2  次に、本件処分に関する荻野検事の故意又は過失について判断する。

(一)  原告は、荻野検事が、原告に本件被疑事実について嫌疑がないことを知りながら、又は、仮に原告に右嫌疑があるものと信じたとしても、原告等が本件被疑事実について強く否認しているのであるから、前記乙川の不十分な犯人特定や原告の矛盾する供述などの捜査上の疑問点を解明する義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と捜査を終了し、本件処分をしたのであって、故意又は過失によって違法に本件処分をしたというべきである旨を主張する。

(二)  まず、荻野検事が、原告に本件被疑事実について嫌疑がないことを知っていたことを証する証拠は全くないから、荻野検事に故意があったという原告の主張は理由がないというべきである。

(三)  乙川の警察における供述は、前認定のとおり、乙川が、四、五メートル程度の至近距離で犯人の顔等を見たうえ、その場から遠ざかりながら三回も振り返って、犯人の姿、形、着衣等を確認し、その目撃の経験に基づき、その目撃の数分後に、原告を見て右犯人と断定した旨を供述するものであったことが認められ、〈証拠〉によれば、荻野検事は、昭和五七年六月二五日、乙川の立会いのもとで、本件被疑事実発生の現場において、実況検分を実施したうえ、池上警察署において、乙川を取り調べたこと、その際の乙川の供述は、右警察における供述と同様であったことが認められる。そうすると、原告が犯人であるとの乙川の供述は、その目撃が一瞬のものでしかなく、姿、形など極めて曖昧な特徴により、原告の不審な行動から原告を犯人と誤信したものであるということはできないのであって、これを信用することができないということは困難である。また、仮に、原告の警察における供述は、原告が主張するように信用することができないとしても、本件処分当時において、原告が本件被疑事実に関与していないという原告の主張に沿う直接的な証拠は、犯行を否認する原告の供述だけであったことは、原告が主張するとおりであり、〈証拠〉によれば、その原告の供述内容は、本件被疑事実の時間において、その場所に所在したけれども犯行に及んでいないというものであったことが認められ、荻野検事が捜査担当者として、原告及び目撃者である乙川の取調べや実況検分等の実施済みの捜査のほかに、なお実施すべき捜査があったことを認めるに足る証拠はないのであるから、荻野検事が、このような状況のもとで、本件被疑事実に関する捜査を続行すべき義務があったと認めることはできない。したがって、荻野検事が、捜査を終了して、本件処分をしたとしても、過失によって違法に本件処分をしたということはできない。そうすると、荻野検事に過失があったという原告の主張も、理由がないというべきである。

3  したがって、原告の被告国に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

五よって、被告検察官に対する訴えは、不適法であるからこれを却下し、被告国に対する原告の請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官北澤晶 裁判官小林昭彦)

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